


本湧水池は、希少な水生生物である陸封型イトヨ生息地の南限として戦前から国の天然記念物に指定されている。湧水池の脇には水中からイトヨの生態観察ができる学習施設「本願清水イトヨの里」も整備され、環境学習の拠点ともなっている。

湧水池におけるイトヨの生息環境を保全するために、市民による清掃活動が実施されている。また、イトヨの生息数の回復のため、市内の保育園児がイトヨの稚魚を本湧水池に放流している。
|
 |

天正元年(1573)越前を支配した朝倉氏の滅亡後、織田信長の部将金森長近が大野郡を統治し、亀山に越前大野城を構築するとともに、京都に模した城下町を建設した。その際、市内の南側に位置し、水量が豊富であった本願清水の湧水を市街地まで導き、道路の中央に引き生活用水として利用したと言われている。

大野イトヨの会は、行政及び地域住民などと協力し、イトヨや湧水池の保護、市民の意識啓発のためのシンポジウムを定期的に開催している。
|